昼過ぎ。普通の者ならば忙しく働く時刻なのだろうが、伊達政宗の収める城は静まり返っていた。
人がいないわけでは無かったが、それでもいつもより何倍か人がその働きを見せていない。
そして俺が仕える伊達政宗も同じように。
「起すな」
そうキツク言われて承知の返事をしてから襖を閉めた。
隣の部屋で読み物を広げて数分もしない内に隣の政宗様が眠った気配がした。
それを確認したところでまた読むことを再開させる。
今日はこの隣の部屋で一日、起きるまでを過ごすはず、だった。
手元に置いていた剣で天井を勢いよく突き刺したところで、
「こりゃあでっけえネズミも居たもんだ」
まだ刃が刺さっている箇所に嫌味を言ってやる。
判断もできないようなまだまだ甘い奴が見れば天井に向かって一人言に見えるが、わかる奴にはわかる。
しばらくガンを付けてやると、カタリと天井板が外れ、するりと降りてきたのは一人の人物。
もちろん見知った者だ。
真田幸村の一番信頼する部下であり忍の長であるという男。名は猿飛佐助。
「片倉の旦那」
この忍は己の主も誰であっても、旦那と呼ぶ。
初めて名を呼ばれたときは、そうでなかったはずなのにいつの間にか「片倉の旦那」という呼び方に変わっていた。
「その呼び方はやめてもらいてぇな」
「……片倉サン」
政宗様と同じ呼び方はまるで同列に並んだようで良く無い。似つかわしく無い。
忍はまるでやれやれと言った風に呼び方を元の形に戻した。
相変わらず堅苦しいような他人行儀(他人だが)というか、「サン」という辺りのイントネーションが嫌味にも聞こえる呼び名だったが、まあそこは敢えて何も言わない。
「どうした、偵察か」
それならばただで帰すわけにはいかない。 政宗様は当たり前のようにこの忍を許しているが、俺はそれほど甘くなかった。
不利になるようなことを見す見す逃すなんてことはするつもりはない。
「いや、今日は伊達の旦那にお手紙届けに。ちなみに旦那から」
ひらひらと文を揺らす。
小汚い字で「政宗殿へ、果たし状」と書かれていた。
真田幸村は過去なんどかこうして果たし状やら決闘状やらを送ってきた。
政宗様も強い奴と戦うのは楽しいのか嫌な風は無く、本気の勝負でありながらお遊びみたいなものだった。
と言うよりこの忍が伊達軍に来る、ということに喜んでいるような気もするが。
どうせ真田幸村の真剣勝負をしなければいけないその内容もこの忍のことに違いないのに、その忍自身に文を届けさせるとは…本末転倒だと思っても決して口にはしないが。
わざわざ政宗様の恋敵に手を差し出してやることも無いだろう。
律儀に自分のことで行われる合戦の切り口をこうして届ける忍は…頭が悪いか余程鈍いか。それともあまりに意識されなさ過ぎの二人が悪いのか。
「で?伊達の旦那は?」
「政宗様は今睡眠中だ」
ちらりと隣の襖を目でやると、忍もそちらを見やった。
「あらら。寝てるの?悪い時に来ちゃったなあ、もう」
心底困ったような顔を浮かべる。
タイミングくらい見計らってくれば良いものを。
昨日朝方まで部下たちとパーティで酒をあれだけ飲んでいれば今の時間に寝ていても仕方ないのだ。
せめて一日早いか、遅くあれば喜んで我が主は迎えただろうに。
「じゃあ片倉サン、これ渡しておいてくれる?」
勝手に手を取られ、「はい」と押し付けられてしまった。
「何だ、もう帰るのか」
「だって渡すのが目的なんだし、意味無いでしょ」
へらりと軽い笑みを浮かべ、来たときに開けた天井へ跳び上がってしまいそうな後ろ姿を見て、その腕を掴んだ。
今帰られると不味い。
「茶ぐれぇ出す、しばらく此処に居ろ」
「いや、いいよ」
否定的な言葉に掴んでいる掌に力を込める。
「何度も言わせるな、居ろ」
「じゃあお邪魔させてもらうけど……」
その言葉を聞いて、腕を離した。
忍は言った通りに逃げようとしなかった。
そこでバレないように微かに安堵の息を吐き、すぐさま城の者に茶を用意させた。
今帰られてしまっては後で政宗様に怒られるのが目に見えていた。
会えるのをあんなに楽しみにしていたのだ、それが一目も会えず帰らせてしまったとなると…。
とにかく、今はここに留まってもらい、その隙に政宗様を起こすしかないだろう。
運ばれてきた茶と、菓子を見て、半ば固まっている忍に目をやった。
その軽い態度と同じようにその畏まった正座を崩せばいいのに、そんな様子は見せない。
思いのほか礼儀、というものを知っているのだと意外に感じた。
こちらが茶に手を伸ばしたのを見て、やっと手を付けた。
ひとくち飲んでからホウと息を吐く。
「気使ってくれて有難う、休み無しで奥州まで来たから実はちょっと疲れてたんだ」
別にお前のことを気遣って残ってもらったわけじゃないけどな。
そう思ったが、苦笑に似た笑いを浮かべて茶を飲むその忍を見て、喉まで出掛かったその台詞を飲み込んだ。
「フン、気にすんな」
自然を繕って出た言葉に、忍はまたひとつ笑って「うん」と呟いた。
変わった奴だ、と茶を飲むと同時に盗み見たその視線は案外あっさり気付かれて、何故か目を閉じること逃げてしまった。
奴が空気で笑ったのが伝わった。



「Fuck!てめえ!小十郎!!どういうことだ!!」
ダンと大きく畳を踏み締め、汚い字で書かれた果たし状を力の限り握り締め更に汚くさせていた。
寝扱けていた政宗様が起きたのは結局忍がきちんと礼を言ってから去って、一刻も後だった。
「佐助が居たんだろ!何で起こさなかった!!」
どれだけ大きな物音を立てても、話をしても気付かなかったのは主人である。
好いている相手の気配というのは殺気が無い限りどれだけ領域に踏み込んでも許されるものなのだろうか。
いくら何でも隙だらけであるように思えるが…しかし簡単にやられる男であるわけがない。そうであったら俺は仕えてなどいないのだから。
しかしながら思っていた通りの怒りに、目を閉じて黙ってそれを受け止める。
恐ろしいほどの剣幕も、本当の恐ろしさなど入っていないことなどわかっている。
所詮会いたい、とか寂しい、とかそんな男の恋心からの怒りなのだから。
しかしやはり怒らせてしまった。
いや。あの後、少し席を外しすぐ隣で眠りに耽っている主をゆり起せば良かったのだ。
あの忍が来ていると告げれば一瞬で目を醒ましたに違いないのに。
実際そうしようとしていたのに。
何故かそうしなかった。そして今理不尽なお怒りを受けている。
しかしあの忍、可笑しな奴だ。
今度は俺が茶をご馳走させてよ、片倉サン。だってよ。
思い出し笑いをしたところで「てめぇ!聞いてんのか!」と更に激しいお叱りを受けてしまった。
「果たし状ということは其処にその者も来るのでしょう、すぐにお会いになれます」
冷静な口調でそう返せば、政宗様は顔を顰めたままだったが黙りこんだ。
茶を飲み交わしたことを黙っていようと決めた。
理由は、まあ、聞かれなかったから、ということにしておこう。
何故か言い訳くさい理由付けが己でも不思議だったが。



まあ、まあ。政宗様、次こそできるでしょう





おしゃべり








2006.8.11