重い刀が更に重い。
「腹ぁ…減ったなあ」
そう呟いても返してくれる者など、この山の中ではいるわけも無く。
遠くの方で鳥や獣の声が聞こえ、木々が風で揺れるだけ。
「まつ姉ちゃんの…飯食いてえなあ」
どこで何を食べてもやはり義理の姉であるまつ姉が作った飯よりうまいものを食べたことが無い。
愛情の篭った料理、それより勝るものは無いということらしい。
利とは違うものの自分は愛情を持って接して貰えていたということがわかって嬉しくもある。
が、やはり自分自身のために、ためだけに、愛を持った料理を作って貰えたらどれほど旨く、どれほど素晴らしいだろう。
いや、今はそんなことより
「腹減ったー…」
戦があったらしく、一番近くの村はもぬけの殻だったし、その次の村は皆その戸を閉め静かにしていた。
これはひと山越えたところまで行かないと宿屋、もしくは茶屋でさえ開いていないかもしれない。
ただでさえもう二日前から何も食べて無い。この体力ではひと山越えるのも一苦労だ、今日中に辿りつけるか。
まつ姉のようにいつでもどこでも付いてきてくれて、料理を振舞ってくれる愛する者がいれば。
思い浮かぶのは幾らか前に出会った人物。
終わりを告げた初恋からもうあれ以上の恋などしないと思っていたその自分に突如舞い降りた恋。
朱色の混じった髪、細い線、こちらを見た時見開いたあの瞳。
会いたい。
はあと溜息を吐くと計ったようにお腹がぐうと鳴り、ずるずると木に凭れ掛かるように座りこんだ。
ガサリ。草むらが揺れた音がして、顔を上げる。
「大丈夫でござるか?」
逆光でよく見えず、目を細めた。
「某、真田幸村と申す」
真田幸村、何だか聞いたことのある名前だ。
よく見ると、やけに赤い格好をした幼顔の男がやけに真面目にこちらを見ていた。
返す言葉さえも面倒臭くて、ああと唸っただけだった。
すると背中を見せたので、やっぱ戦場だし放って置くよなあと一人また溜息を吐く。刀を持っていながら殺されないだけマシか。
しかし幸村と名乗った男は去るような様子は見せず、森に向かって叫び始めた。
「佐助、佐助ぇ!!」
佐助?
「はいはーい?俺のお仕事はもう終わったはずじゃあ…」
木の上から颯爽と降り立ったのは、ずっと会いたいと思い描いていた人物。人違いなんかじゃない、見間違いなんかじゃない。
彼は幸村という男からこちらに視線を向けて目を見開いた。
初めて会ったときと同じように信じられないといった瞳をしていた。
「この者が調子悪そうなのだ」
「前田…慶次」
その唇から紡ぎだされた自分の名前にもう我慢ができなかった。
「佐助ーっ!」
抱き締めようと腕を伸ばし、佐助からヒッと小さな声が漏れたとき、世界がぐらりと揺れた。
視界がガクリ、と下がる。
最後に見たのはやはり佐助の驚いた顔だった。
そんな顔しか見てねえ気がすんなあ。





勢いよく椀に盛られた飯を掻っ込む。
それは数秒で無くなってしまい、空のそれを差し出すと呆気に取られた顔で装ってくれるのは朱色の髪の想い人自身。
近くには真田幸村、と名乗った男も勿論居て二人きりではなかったがそれでも嬉しかった。
しかしながら屋敷まで連れてきてもらい、飯を与えられるこの扱い。
一武士の幸村の申し出を許したのは他でも無い武田信玄。
豪快に笑って「善し!」と言い放ったその御仁にこちらもすぐ好意を持った。
空腹でなければ一度ちゃんと話してみたいもんだと思ったものだ。
真田幸村、武田信玄、いや、武田軍は人が良い。
飯を頬張りながら気分は浮き立って仕方なかった。
何杯目かの大盛りのお代わりを受け取りながら箸でおかずを突いた。
「やあ!悪いなあ!」
久しぶりの飯だからか、いやそれを差し引いても物凄く旨い飯だ。
煮物と焼き魚炒め物。白い米も進むってもんだ。
呆然と見守っていた幸村も流石の早さにどんどん開いた口が塞がらない、という状態になっていってしまっている。
椀に残る最後の米一粒を口に納めて、箸を揃えて手を合わせた。
「あー美味かった!ごちそーさん!」
空腹を訴えていた腹が、もう限界と訴える頃にはお櫃の中の飯は無くなっていたようだ。
佐助が、うそー…と小さく漏らしたのが聞こえた。
しかし美味かった。こんな飯は本当に久しぶりに食べた気がする。
そう、最後に前田家で食べた以来だ、懐かしい。
「アンタの屋敷のもんは料理美味いんだなあ、まつ姉ちゃんと同じくらい美味かった」
話しかけるとぼうっとしていた幸村はハッと意識を引き戻した。
そして自信ありげに笑んだ。
「違うでござる、これは佐助が作っておるのですよ」
「佐助が!?」
叫んだ声にビクリと佐助が体を引いた。
じぃと見ると、ますます不審そうに距離を取ろうと体を下げる。
「な、なに…」
「いやあ、ますますいいねえ!」
あんな料理を作れる奴がまつ姉の他にいるもんだとは。
思いが篭っているのだろうか。食べてもらう者のための思い。
こんな美味い飯を作れる者が、もし、自分への愛情を持って作ってくれたらどれほど美味しいものになるのだろう。
どれほど幸せなことだろう。
ますます、惚れた。
それよりまずはこの警戒心を解いてくれることが先決だろう。
さーてさて、どうしたもんかねえ。そうだ。
ニッと笑みを浮かべると、おもむろに立ち上がる。
「さ!何か俺に手伝えること無いかい?美味い飯貰ってそのままっていうのは気分悪いしなあ」
「さっさと帰ってくれると有難いんだけど」
冷めた目でしらりと返されたが、そうそう帰るつもりは無い。
「佐助、折角慶次殿がこう言ってくださっておるのだ」
幸村が宥めるようにそう言うと、佐助はグッと詰る。
真っ直ぐな視線で揺るがない幸村を見ると、大きな溜息を吐いた。
くしゃくしゃと己の朱色を混ぜっ返すと負けたと言わんばかりの声を出す。
「もー…みんな危機感無さ過ぎ」
普通ならそうだろう。
前田慶次、とわかっている。風来坊とわかってもらっていても前田の者を普通屋敷などに上げないだろうと思う。
「じゃあ薪割り!訓練場の近くにあるから。旦那、この人のこと後はよろしくね」
それだけ言って部屋の中で掻き消えた。
俺の想い人は忍だったらしいことを今初めて知った。
そう考えればあの身のこなしや、やけに細く見えた線も納得が行く。
屋敷に残れることになったことに嬉しさを覚えながら、しかしながら頭に残った疑問は一つだけ。

「……旦那?」

え、もしかして既にお手つきだったりしてるんじゃあ…。
もしかして失恋?



でも遅いよ、知れば知るほど、アンタのこと





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2006.8.4