いざ京都へ。
上洛を果たそうとしている武田軍より先にその地に降り立った。
まずは情報を仕入れる必要があったからだった。
「真田の旦那が好きそうなところだね」
華やかな建物、柔らかい家の明かりに、赤い提灯。
太鼓の音が鳴り、ハラハラと舞う桜。
人々は皆楽しそうに音楽に合わせ歌い踊り、まるで武家も町人も関係無いといった様子だ。
戦とは関係の無さそうな明るいところで、いつの間にか知らず知らず顔を緩ませていた。
仕事だから仕方ない、人を殺すのは仕事だ。
しかし、こんな平和なところにいると自分の殺戮という仕事さえ忘れさせてくれそうで久々に気分が良かった。
屋根の上から様子を伺っていると、遠くの方でより沢山の人々の声が上がった。
踊りに夢中だった人もどんどんそちらへ流れ込んで行っている。
その突然の変わった下の様子に自分の仕事を思い出す。
何かあったのなら把握しておかないわけにはいかない。
姿を町の者と同じような格好に変え、砂埃を立てないように地面に降りた。
そしていとも簡単に人々の波に溶け込んだ。
たどり着いたのは道端で、どうやら男二人が喧嘩をしているようだった。
何だ、ただの喧嘩。
ガッカリしている己とは別に周りは「やっちまえ!」だの「いけー!」だの何だか盛り上がりを見せていて誰も止めようとはしない。
どうやら皆喧嘩が好きらしく、二人の周りを囲んで楽しそうな声を上げている。
微かに踵を上げ、ひょいと中心を覗き込む。
頭からつま先まで派手な若い男と着物を脱いで筋肉を恥ずかしげも無く見せている男。
二人とも口元には笑みが浮かんでいて、どうやらただの余興のように見える。
どうやら人気を持っているのは若い男の方で、たまに黄色い歓声も上がっている。
量の多い髪を一つに結い、遊び人のような変わった格好はしているが背も高く顔はまさに色男と言えるもので人気が有るのも理解できた。
京都の皆様は喧嘩にお好きなようだが、こちらはまったく興味無い。
何も情報は無さそうだし、さっさと帰ることにするか。
溜息を一人ホゥと吐くと、目が合った。
輪の中心にいるはずの若い男がじぃとこちらを見ていたのだ。
バレた。
俺様としたことが、と一人舌打ちをして踵を返してその人だかりから離れる。
こんな人の多いところで突然来られたら無事とは言えないことになる、それだけならまだしも武田軍が来ることがバレてしまっては元も子も無い。
見られたのは仕方ないとして、どこの者かバレない内に去るしかない。
しかし人の多いこんなところで鳥を呼ぶわけにも行かず、屋根に飛び上がるのにも見られる可能性がある。
人の少ないところまで行くしかない。
早歩きでなるべく顔を隠しながら人混みをすり抜ける。
ちらりと後ろを見て、ギョッとした。
先程喧嘩だ祭りだの中心にいたはずのあの男が追いかけて来ている。また目が合った。
しかしただこちらの後を尾けるかのように歩いているだけ。
歩幅のせいか、早歩きの自分に対して相手はただゆっくり。先程は持っていなかった己の丈より余程でかい剣を持っている。
距離を取っていなければ斬りかかられたときあの剣に斬られる。
ちらりともう一度盗み見るように振り返ると、ずっとこちらを見ている男はヘラと笑い軽く手を振ってきた。
逃げるしかない、逃げ切るしか方法が無い。
また歩く調子を速めるが、後ろの気配は同じ感覚を保っていて離れるつもりは無いらしい。
不自然極まり無いが、しょうがない。
ひとつ大きく息を吸うと、足に力を入れ走り出した。
これでも忍隊長、足には自信はある。怪訝な目を向ける街の者の目を避けるようになるべく体勢を低くして、走る。
人にぶつからないように縫って、振り切るようになるべく人の間を通り、けして真っ直ぐは走らない。
祭の音が大きくてよかった、人に自分の注意を向けさせずに済む。
もうそろそろ見失ったか、と振り返ると体が強張った。
「ちょ、ちょっと…」
あの男がズンズンと人を避けて行ってしまっている。
「どいたどいた!」
長い武器の鞘でまるで人を押し退けるように左右に分けて行ってしまっている。
そんなことをすれば自分など簡単に見つけられてしまうではないか。
不味い。もっと奥の奥まで行かなければ。
そんなことを考えている間に、既に己と彼の間には人は居なかった。
「ああ!見つけた!」
あれほど人が居たというのに、皆あの長い鞘に押し退けられ道の端まで寄せられてしまっている。
ニッと笑い大きな剣をブルンと大きく振るった。その風でふわりと桜の花が舞った。
周りからは、わあという歓声。得意げそうな顔。
あまりにも目立ちすぎだ。もう皆の前でも形振り構わず逃げるしか無い。
この際、もう忍術を使うことは惜しまない。
袖元から閃光弾を出して地面に向かって叩き付けた。
カッと明るい光が周りを支配する。
大勢の声という声が「きゃあ」だの「わあ」だと言い、怯んでいる間にさっさと屋根に跳び上がった。
勢いよく瓦の上を走り、一刻も早く退散させてもらう。
とんだ視察になってしまったもんだ、と溜息を吐いた。
忍として五感が優れているのは当然、そして嫌でも聞こえてしまった声に思わず「ゲッ」と声を上げて足を止めてしまった。
おーい、と後ろから声がする。
それは先程やっとのことで離れてきた男の声に違いない。
徐々に見えてきた姿に慌ててこちらも焦って走り出す。
「おおい!ちょっと待てよ!待ってくれ…!」
「待てって言われて待つ奴がいるならお目に掛かりたいもんだね」
流石に屋根には昇ってはいないが、すぐ下にある道をあの大きな武器を背負いながら走ってくる。
その二人の距離はもう大したものでは無い。
この男、何がしたいのかわからない、切りかかってくるわけでも無し。
まあいい、あと少し。もう人気も無くなって来ているここならば愛鳥を呼んでも問題など無いだろう。
そんなことを考えていると、風がひゅんと隣を掠めた。
そこは流石に忍。くるりと後ろに避けた。それがいけなかった。
斬るために出されたわけではないその刀は振り下ろされることもなくすぐ切り返し、佐助の着物を捉えた。
「お、わぁ!」
刀を捻り、着物を絡めるようにして体ごと持ち上げてしまった。
突然宙に浮かされ、間抜けな声が出てしまう。
「よぉっと!」
理解できる前に、若い男はグルンと刀を廻しそのまま持ち上げた体を傍らの地面に落とした。
受身を取らなかった体は固い地にビリビリと響かされ、痛みが込み上げる。
痛む体を支え、目の前の男を仰ぎ見た。
「悪ぃなあ、逃げようとしてただろ?だからつい…」
頭を掻きながら申し訳無さそうに笑う男は、痛むか?と心配までして見せた。
手まで差し出して起き上がらせようとしてくるその様子に呆気に取られてしまう。
「俺になんか用なの?」
生かして武田の情報を話せって言うなら俺はけして喋らないから無駄だというものだ。
だから質問はただの時間稼ぎ。
こちらにだって武器は無いわけでは無いし、隙を見て逃げ出すために頭の中でいくつも策を練る。
若い男は、あー、と唸りながら頭を掻いた。その表情は困ったような嬉しそうな妙な顔。
意図が掴みかねてその様子を伺う。
「やあ、なんていうかー…これって絶っ対、恋だと思うんだよなあ」
一目惚れってやつ?
そう問われても何も返せ無い。一目惚れとか、そんなことこちらがわかることでは無い。
「あんた、名は?」
「………佐助」
反射的に名乗ってしまって、しまったと毒づいた。
これが相手の裏を探る策だったとしたら、こんなに簡単に名乗ってしまって良いわけではない。
隠し持ったいつもより小さめの手裏剣を持つ手に力が入る。
しかし、「佐助…良い名だなぁ」一人勝手に頷くこの男に気が抜ける。
「ってえことで、まず文を交わすとこから始めよう!」
くらりと世界が回る。
何なんだ、この男は。
ぐったりと項垂れてしまったのを見て、また目の前の馬鹿みたいな男は「平気か?」と心配を見せた。
「……アンタ何なんだよ」
やけに疲れてしまって出た言葉はこの男を見てからずっと思っていたことで。
もう今更繕おうとか考えてはいなかった。恐らく無駄であろうし。

「俺は慶次!前田慶次!運命の相手に会えて嬉しいねえ!」

京都の華は恐ろしく爽快に笑って見せた。



好きな相手にひたすら真っ直ぐ!それが恋よ!





追いかけっこ








2006.8.1