おいで




呼びつけられて言われた言葉は呆気に取られるものだった。
「今日一日、暇を出す」
忍に暇を出すなんて武田軍は、いや、真田幸村は余程の変わり者だと思う。
始めの内は断って側に仕えていたが、最後の一押しに、命令だと言われてしまえば言い返すことも無くなる。
幸い今大きな戦は無いようだし、取りあえず周囲の安全を確認してからお暇というやつをいただいていた。


「よーしよし良い子だ」

城とはいくらも離れていない森の中。
若干の餌で近寄ってきたのは黒の鳥から白の鳥、兎や狐や毛並みも態度も一流な狼まで。
切り株に腰を掛けて美しい毛並みを撫で、鳥に笑いかける。
動物を従えられるのは忍の長としては当たり前のことだ。
しかしそれを抜きにしても動物は好きだった。懐いてくれると可愛いし、裏切ることもない素直な生き物。
何より我々のような無駄な殺生をしない。
羨ましくもあり、そんな感情が無いことも無い。
ふ、と見知った気配を感じ、顔を上げる。
隠れているつもりだろうが、こちらは隠れるのも見つけるのもプロ。
その無駄に熱い気をわからないわけが無い。木の後ろで息を潜ませこちらの様子を伺っているようだ。

アンタは子供か。
堪え切れずついつい漏らした笑い。
「旦那」
びくりと揺れた気配にまた笑ってしまう。
「そんなとこにいないでこっち来なって」
おいでおいで。手まねいてやると木の幹から覗いていた旦那がそろっと顔を見せた。
「気付いておったのか…」
「当たり前でしょうが、俺を何だと思ってんのよ」
旦那が足を踏み出したのを見て、獣が体を引いて身構える。
それを見て、少し眉を寄せ、そこからこちらに寄ろうとはしなかった。
「いや、あ、そ、そうでござるな、すまぬ」
謝るほどのことかい。
笑ってそう言うと真田の旦那はもう一度、すまぬと頭を掻いた。
「どうした?何か城で問題あった?」
「あ、いや…そういうわけでは」
「じゃあ仕事?」
「え、う…まぁ、その」
口ごもっているということは、こちらの予想で間違いないようだ。
しかしお館様の前以外じゃハッキリしないんだから、旦那ってば。
「いいよ。元々暇なんてもらう気無かったんだし」
周りにいた獣たちをひと撫でして立ち上がる。
それを合図のように鳥たちはバサリと音を立てて空へ舞い上がり、獣たちは森へ溶け込んでいった。
さ、行こうかと口にするつもりだったが、旦那が鳥たちが去った空を未だ見つめて動かない。
急ぎの仕事では無いのか、そんなことを考えながら旦那を待つ。
「佐助はすごいな」
唐突に、ポツリと言葉が聞こえた。
「何がよ」
「かようなものたちとも心を通わせることができるなど」
「別に、たいしたことじゃないよ」
何の会話なんだろう。
長い沈黙、時間は刻々と過ぎているはずなのに、いいのだろうか。
そう切り出そうと口を開きかけたそのとき、

「……すまぬ」

旦那から出て来たことばに開きかけた口を閉められなかった。
意味がわからない。
「すまぬ、佐助。仕事など無かったのだ」
嘘を吐いた、と続ける。
「某は獣たちが佐助の周りにいるのが悔しかった」
だから。丁寧にすまぬ、と謝る旦那に呆然としてしまう。
いや、謝られても。

何だ、そうか。そうだったのか。
先程まで座っていた頃合の良い切り株にもう一度腰を掛けた。
「旦那、」
おいでおいで。
真田の旦那はふらふらと呼ばれたままこちらに来て、綺麗な毛並みをした狼と同じように俺の足下に腰を下ろした。
じっと見つめてくる瞳に笑い掛けて固めの髪を撫でてやる。
旦那は嬉しそうに目を閉じて成すがままにされている。
「しかしね、男のヤキモチは格好悪いよ、旦那」
「う、ううう、うるさい!」
真っ赤にして叫ぶ旦那を見て若いね、と笑った。







   −終−






いや、若い若い。素敵だね。




2005.10.10