拉致監禁




血がその場を濡らす。

せめて、せめてこの人だけは。
愛用の手裏剣は弾かれ遠くの地に刺さって見える、手元にはクナイしか残っていない。
体は十分に動けず、血は未だに流れ出る始末。
足はもう感覚が消えうせ、目は霞む。力が入らない。
人ひとりを抱えて逃げることは選択肢の内に含まれることはなかった。
だからと言って、勝てるとは万の一つも思ってはいない。けれどこの手を降ろすわけにもいかない。
せめて、意識を取り戻して、くれたら。
相手から視線をけして外さないように、腕の中にいる人物を盗み見た。
覇気がある目は閉じられ、口からは必要以上に熱い言葉も飛び出すことはない。
荒い息…負った傷が痛々しかった。
起きる気配すら無い、無理にそれこそ切り付けて起こしてもいいが、この怪我に更に傷つけるのははたして得策か、答えは否。
奥歯を噛み締め、ただ今は倒れないように気力を注ぐ。
そして気迫負けしないように。
少しでも気を抜いたら…殺される。
「そいつのために無駄に命を捨てるか」
低く問われて、一瞬目を見開いた。
悠長に話している暇は決して無いのだが…それでもしかし、その問いは愚問だった。
「俺の命は真田のためにある、あの人が助かるためなら俺は」
なんだってする。
鋭いまなざしを見下ろしていた一つの瞳は不意に目尻をあげる。
OK、異国の言葉のあと、口端を上げた。
はっきり断言ができないのは兜の影になっているからということと、血で目が霞んでいるから。
それでも笑んでいる、とどこかで思った。
ざわざわと風が鳴る。まるで異国交じりの言葉を攫うかのように。
自分の吐く荒く苦しい息遣いだけは大きく聞こえたのだった。

一刻後、忍が腕に抱いていた血の気の無い人物は仲間の手によって保護される。
武田軍は真田幸村の生きての帰りを非常に喜んだ。
猿飛佐助は未だ目覚めない真田幸村残し、死体さえ見つからずに消え失せた。
忍らしく主を守って死んだのだ。
暖かな布団の中で目が覚めた幸村は起き抜けに佐助を探し、死んだと聞かされて瞬きすることも忘れ涙を流した。





奥州の奥地の屋敷は、戦乱と思わぬほど平和だった。
暖かな陽射の中、抜けた赤色の髪の青年は縁側に腰を据えていた。
飛んで来た小さな小鳥を手の内で遊ばせていた。
その異様とも、美しいともいえる光景を遠くから眺めていた人物は近付く。
「茶だ」
声を掛けると、違法者に怯えるように鳥たちは空へと舞い上がっていく。
二人でしばしそれを眺めていたが、赤髪の青年は視線を上げて笑った。
「待遇いいよね、伊達の旦那助かる〜」
腰を上げて、伊達の旦那と言われる青年に並んだ。
知ったように、ひとつの部屋に向かって廊下を歩く。
ひょこひょこと右足を引きずるように歩く姿。
それは今まで知っている身軽な彼からは想像付かない。
茶も、持ってこれば良かったか。痛ましげに伊達政宗は見ていた。
「戻りたいか、佐助」
ピクリと肩が揺れる。
佐助、なんて久し振りに聞いた名前だと青年が笑った。
戻りたい…何に、なんて聞かなくてもわかる。
「別に?忍じゃない俺なんて誰も必要としないよ」
伊達軍との戦、足をやられた。
ブチリと嫌な音を聞いてから右足はもう使い物にならない。
歩くくらいならできるがもう不自由無く動くことも、ましてや足を使う忍の仕事なんてできるわけがなかった。
使えないものを置いておく義理なんてものは無いだろうし、足手纏いはどうにも邪魔だ。
「猿飛は死んだ、長だってもう違う奴が立ってるさ」
忍とは道具であり、死こそ誇りと言われるまであることもあるのだ。
無くなったら次を補充するなんて基本だ。
「伊達の旦那は優しいよね」
良い意味で、悪い意味で。
いっそ死んでいれば、そう思わないことも無かったとは言わない。
真田忍隊として、真田幸村に仕え守りながら死にたかった、そう思うことだって少なくない。
もう忍として使い物にならないこの安い命を救っただけでなく、生かしたまま真田幸村も助けてくれた。
あの人を助けてくれるなら何だってできたのに、むしろこちらに都合の良い待遇しかしてくれない。
のうのうと生きることが辛いと思ったことは何度もあった。
それでもこんな命でも、今生きているというのはそれで嬉しいことだ。
隣で静かに笑んでいた青年を、伊達政宗は眩しそうに見つめていた。
そして、身を屈め、顔を寄せてきた。
降りてきた唇を目を閉じて甘んじて受ける。
薄く柔らかく、無防備な触れあい。
それにも随分慣れた。
逃げようと思えばもしかしたら逃げられるかもしれない。
泣いて頼めば逃がしてくれるかもしれない。
でもそうしないのはその必要が無いから。
そう、無理に此処にいるわけじゃない。
お人良しに優しく攫われ、繭のように柔らかく、暖かく、閉じ込められているだけだ。
それもあえて甘んじて受ける。あえて、囚われて生きていく。
不満なんて無い、選択肢を出したのは向こうだが選んだのは自分であること。

ひとつ気になることがあるとすれば、そうだな……
あの優しい赤の主が、俺のことを忘れてくれますように。







   −終−







もう忍はいないけれど




2005.12.10