盟約
武田信玄に呼び出され、幸村はその御前に頭を下げていた。
佐助はそれを離れた位置で腕を組みながら眺めていた。
戦でも無いのに、佐助を除く双方は非常に険しい顔をしている。
「幸村、どうあっても嫁を貰うつもりは無いのだな?」
「お館さま!某はまだまだ未熟!お館さまに仕えることで精一杯なので御座います!」
話は幸村の身の話だった。
良い年齢に行っているにも関わらず幸村は嫁を貰う気配を見せない。
息子のようにも可愛がる信玄としては心配だったのだろう。
婚姻を進める信玄に、幸村は断固頷こうとはしなかった。
「そうは言っても幸村、身の回りを一人でやるには辛かろう」
「世話なら佐助が十二分にしてくれておりますゆえ」
「自分でできるようになってよ」
佐助はうんざりと溜息を吐いた。
起床を呼びかけるのも、彼の身なりを整えるのも、夜食を作るのでさえ佐助の仕事になっていた。
忍の仕事では無いのにと佐助は愚痴る。
「おお、そうだ!」
信玄は何を思ったのか佐助と幸村を見比べてから手をポンと打つ。
それから自信を持った声で大きく言い放った。
「幸村と佐助、お前達そのまま結婚してしまえば良いではないか!」
「「はぁ!?」」
二人は同時に驚きの叫びを上げた。
ついのことに幸村も、信玄公の前では決して上げないような失礼な奇声だった。
ポカンと二人は間抜けに口を開けている。
先に自体を把握した幸村は焦りを見せた。
「ちょっと待ってくだされお館さま、某と佐助は男同士で御座りまする!」
「男や女ということで差別するのは感心せんな」
「も、申し訳御座いませぬ!!」
ギロリと睨まれ、幸村は一歩下がってもう一度頭を下げた。
「た、大将!あの、ちょっと」
佐助が掛けようと発した声は信玄の声に遮られて二人には届かない。
「それに、幸村。佐助以上にお前の世話を出来る者が現れるとは到底思えぬ」
「いや、は、しかし」
「生活の世話、戦での世話、ここまで出来る者であるのに、この贅沢者がぁあ!」
最後は既に叫びになっていた。
それと同時に見事なほどに拳が幸村の頬に決まっていた。
衝撃に幸村の身体が吹っ飛んだ。
畳が焦げるような匂いがする。
目の前まで飛ばされた幸村に、佐助は焦って主の体を支えて起こしてやる。
若干ふらふらになりながらも幸村はキラキラとした目を敬愛するお館様へと向ける。
「す、すみませぬ!お館さまあぁ!幸村が至りませんでした!」
まさか、と思ったが。
佐助は彼の認めるような言葉に目を剥いた。
信玄は大きく「うむ!」と頷くとその背を向ける。
「では、祝言は近い内に行うから、二人準備をするようにな!」
「はっ!わかりました!」
「ちょ、ちょ、ちょっとっ!」
甲斐の虎は満足そうにそう言うと、この状態を放置して障子の奥へと消えてしまった。
状態が飲み込めているのはきっと幸村でなくその忍であることは一目瞭然だ。
「あーもう」
気苦労の声を出すとぐしゃりとその赤髪を掻き回した。
目に映るのは深々と頭を下げている頭の足りぬ男だけだった。
「何で認めちゃったのさ」
じろりと薄い瞳が睨む。
こんな話を誰に聞かれるわけにもいかなかったので、城の裏に居た。
さわさわと気持ちの良い風が吹きぬけるというのに、二人はギスギスとした空気の中にいる。
「……いやしかし」
「俺と結婚してどうすんの」
「う……まぁ」
申し訳ない。幸村は続ける。
「このままじゃホントに結婚ってことになっちゃうよ」
あの時、殴られたからといって認めるべきでは無いことのはずだったのに。
お館様はすでに乗り気で、きっとこのままだと本当に結婚させられる。
思いついたら即実行、元々言い出したことはやる性格の男だ。
まずいことは十分にわかる。
佐助は深く溜息を吐いた。
それを髪の毛の間から盗み見るようにしている幸村が口を尖らせた。
「……某は女子が好きだ」
「俺だってそうだよ!!」
大きな声を出して言い返した佐助に幸村はこれまたしゅんとして見せた。
忍の機嫌が悪いことが痛いほどわかる。
「なんとかせねばな…」
佐助のことは好きだが、それは家族みたいなもので、幸村だとて結婚などする気は無い。
もちろん佐助もそうだろう。
幸村は、彼の機嫌が悪いのも加え、何とかしなければと思う。
「手っ取り早いのは、旦那が良い仲の相手を作ることだよね」
「やはりそうか」
しかし彼には良く思う相手はいない。
可愛いと思う女子はいても恋仲になりたいと思う者はいなかった。
幸村はどうしたものかと首を傾げる。
それさえもわかっていた佐助は軽い溜息をひとつ吐いた。
「何とか俺が良い子見つけてくるから、とにかく嘘でも良いから婚約発表しちゃって」
「嘘はいかんだろう」
相手に悪いと続ける。
好意も無い者と、無理をして付き合い、嘘でも婚約なんて出来ない。
幸村はきっぱりと断った。
「じゃ、なに。俺と婚約してるのは良いっての?」
その答えに怪訝な顔を見せる。
はて、と幸村はククと首を傾げた。
そういえばそうだ、何故佐助と婚約しているという状態に焦りは無いのだろう。
佐助だって思う相手がいてもおかしくはないし、お館さまがいう婚約は佐助の意思を無視している。
なのにハッキリと困る、とは思えなかった。
幸村はよくわからないこの感情にただ思考を巡らせる。
「……旦那、聞いてる?」
佐助の声が現実へと引き戻した。
「あ、ああ」
「嘘を旦那が嫌がるならどうするかな…駄目元でもう一回大将に言ってみるとか」
うんうんと考え始める佐助に、幸村はふと思う。
もしも、と。
当たり前過ぎて聞くべきではないとどこかで思うはずなのに、幸村は口が勝手に動くのを止められなかった。
「……駄目なとき、どうする?」
「ええ?」
もし、この結婚が無に帰ることができなかったとき。
忍は、きょとんとしてから「そうだなぁ」と呟いた。
そして楽しいことを見つけた子供のように笑ってみせる。
「そのときは、本当に夫婦になりましょっか?」
「……冗談だよ、そんな嫌そうな顔しなくても何とかするって」
愉快そうな顔を歪ませて膨れる佐助。
「あ、あぁ…」
嫌そうな顔をしていたのか、と幸村は自分の頬を擦った。
そんな気持ちは無かったように思えるのに。
ふとそこまで考えて、おやと考えた。
しかしこの感情になんと付ければ良いかもわからず、幸村はただ首を傾げっぱなし。
佐助はどうするかと色々な方向に思考を巡らせる。
影から武田信玄その人が悪い笑みを浮かべて眺めていたのを、惜しくも二人は気付くことはできなかった。
−終−
主従から更なる盟約を
2005.11.18
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