媚薬
それは唐突に始まった。
「さ、さ、佐助!喉は渇かぬか?」
部屋で休憩を取らせてもらっていたその佐助の元に、主はやけに意気込んで来た。
「は……いや別に」
突然のことでわけもわかなかったが、佐助は早々に断る。
幸村はずいと近寄った。
「そんなはずなかろう!ホラ、今日は忙しかったであろう?だからな、」
「これ」
ずいと差し出されたのは竹筒。
いきおいよく揺れた中から、チャポンと水音が聞こえた。
顔を赤くして息を荒く吐いているその姿は、言うのも何だが限り無く怪しい。
上司の行動とはいえ、佐助は怪訝な顔を隠せずにはいられなかった。
戦っていたわけでも無い、理由などありはしないのに、何のだろうこの態度は。
「いらない」
「い、いらない!?何故だ!」
きっぱりと断ったのに、幸村はなおも食い下がる。
これほど必死になっている時点で明らかにおかしいだろう。そう誰もが思いそうなものだが肝心の彼にはそれをわかっていないらしい。
「悪いけど今別に飲みたく無いし」
「そんなことを言わずに、な?なぁ、佐助?」
何でそんなにソレを進めるんだ。佐助は目を細めて竹筒を見つめた。
これは感が良い忍で無くてもおかしいと思うだろう。
いらない、と何度目の言葉を口にした。
「佐助、少しだけでも」
「い・ら・な・い」
より胸の内が伝わるように言葉を一字ずつ切って強く強く却下した。何とか縋ろうとしていた幸村はそれには流石に口を閉じてしまう。
幸村が沈黙を破るのに少しの時間を要した。
「某が折角持って来たのに」
まるで叱られた犬のようにしゅんと項垂れてみせる。
今まで頑なに聞かぬ門ぜぬを続けていた己の気持ちがぐらりと揺れる。
これでも長く仕えてきた真田幸村その主。
昔からそのあからさまに落ち込んでますーってな表情には弱かった。
わかってやってるのかね、旦那。
赤い髪をくしゃくしゃと何度かかき回して諦めの念を息として吐いた。
「あーもーわかった、有難く頂戴しますよ、真田の旦那」
パッと明るくなる顔色。
仕方なく差し出された竹筒を受け取り両手を添えて口を付ける。
期待された瞳で見つめられる中、手の中のものをいきおいよく傾けた。
ほっとした幸村の顔を見逃す佐助ではなかった。
で?
「何入れたの」
据わった目をぎろんと見せて様子を伺っている男を見つめる。
「な、何のことだ?」
「入れたんでしょ?何入れたの、旦那」
全てわかっている、とでもいうような口ぶりだった。
実際に何かしたことは確実で、外れている可能性の方が低かったりする。
吐いちまえ。
佐助は目でそう諭す。
視線から逃げるように顔を背けていた幸村だったが、ちらりとその目を確認したが最後、両の手をいきおいよく合わせ頭を下げた。
「すまぬ!!」
やっぱりね。
佐助は冷めた目を崩すことなく、次の言葉を待った。
「伊達殿から頂いた薬を入れてしまった」
独眼竜は余計なことをしてくれる。
面白いこと好き、引っ掻き回すのが好き、いつも他国から伝わったもので問題を作ってくれる。
伊達政宗にはそんなつもりは無いのかもしれないが、こちらがそう思ってるんだから仕方ない。
「はぁ、伊達の旦那………で?」
痛くなる頭を抱えて続きを促した。
赤の人は視線をうろうろと彷徨わせてから呟いた。
「素直にさせる薬、だとか」
素直にさせるって、
「それって、び…」
媚薬じゃないの。
言いかけた途中で口を引いた、余計なことは言わなくていいと自分で悟ったからである。
そんなこちらに気付きもせず、幸村は眉を下げ伺うように佐助を見つめる。
「そ、それで。佐助、某に言いたいことは無いか?」
言いたいこと?
意味がわからず首を傾げた。
魚のように何度か口をパクパクとさせてから、言いにくそうに、視線を地に向けてポツリポツリと漏らす。
「某は佐助の気持ちがどうしても聞きたかった」
薬などに頼ってすまぬ。
申し訳無さそうに頭を垂れる主を見て、合点がいく。
このいい年になっても純情を繰り出す男は、この薬の効果を正確にわかっていない。
素直にという意味を正直に捉え、どうせ自白剤かなんかだと思っているんだろう。
それはそれで有難いのだが。
さて、これからどうするか。
馬鹿なことを実行したのは許せない。
部下であり、そして仮にも恋仲だという相手に薬を盛るなんて。
怒りとわかる溜息をわざとらしく吐くと、ビクリと真田が肩を揺らす。
「許せないな、旦那が俺にこんなことするなんてショックだよ」
冷たい声。
敵対する者だけが聞くことができる冷静だけれど独特の冷たさ。
そんなものに慣れておらず、まさか自分が言われると思っていなかった幸村は顔色を青くした。
「すまぬ。本当に、本当にすまぬ、佐助」
半ば泣きそうな顔で何度も何度も頭を下げる。
それから目を逸らし、見つめ返すことをしなければ、またすぐ情けない顔になっているのがわかる。
ただ頭を下げ、謝りの言葉を紡ぐ。
どう思っているか。そんなことを考えているなんて思ってもみなかった。
佐助は確かに言葉に出すのを嫌っていた。
それは恥ずかしいという色っぽい理由などでは無く、忍という立場を考えたものだった。
お付の忍がその主と恋仲にあるなんてことが知れたら真田幸村その人の地位さえ危ぶまれる。
好きじゃないなんて言った覚えは佐助には無かったが、言葉を求めているなんて知ったのも初めてだった。
己の気持ちなどすっかりわかっていると思っていたのだけれど。
好きだとか好きじゃないとか好きだとか。ホントにもう。
くらりと目が熱い。
佐助はそのまま俯いて顔を上げようとしない。
怒りでそうしていると思ったが、もしや薬が効いてきて、それが体を壊すような結果になる要素があるとすれば。
そこで改めて幸村は己のしたことを恥じた。
薬が毒ではないという保障はどこにも無い。
「佐助?佐助。平気か?」
幸村は佐助に近寄り、背を擦る。
佐助を、この忍を失うようなことになったりなどすれば。
真っ青な顔をして心配して見せる主。
「ホントに、」
笑いを含んだ呟きに、幸村は顔を覗き込む。
「ホント、好きだよ、馬鹿旦那」
柔らかい笑み。照れたようなはにかんだ笑み。
突然言われた、好き、という言葉にじんわりと暖かみが増し、それと同時に薬の力なんて借りるのではなかったと更に強く思えてくる。
すまぬ、とこちらが申し訳ないと思うほど幸村は深く頭を下げた。
佐助はおもしろそうに笑う。
「悪いと思うなら、抱きしめて」
それは甘やかな我侭。
嘘なんて無い、本当の。
幸村は初めての恋人の、我侭らしい我侭に顔を明るくすると要望に応えるべくその腕を伸ばした。
一方、その胸の暖かみを感じながら佐助はくすりと笑いを漏らす。
ホントは一滴たりとも飲んで無いんだけど…
主の妙に浮ついた気配と罪悪感の入り混じった顔に免じて。
ま・嬉しそうだから今日は許してやりますか。
−終−
地面には少しの嘘と水溜り
2005.11.07
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