花びら
ひらひらひら。
春の陽気に桜が、少しの風で大きく揺れる。
甲斐にも少し遅れた春が来た。
真田幸村と、その部下の忍である佐助は、まだ若い芝の上で空を覆う花を見上げていた。
「それにしても、見事な桜だねぇ」
桃色の花びらが頭上からひらりひらりと舞い落ちる。
佐助は掌を掲げ、その中に桃色のいくつかを器用に掴んで、微笑んだ。
「うむ」
真田幸村その人も、隣の佐助を見て嬉しそうに大きく頷いた。
屋敷の外の、川原の近く。
桜で花見をしよう。
その提案に、始めこそは渋った顔を見せた佐助だったが、今の時期の桜の見事なことは知っている忍。
最後にはしょうがないと言って、律儀に団子と、酒を用意した。
そして今、その忍は仕事の顔を忘れ穏やかな顔を見せて花見を楽しんでいる。
重そうな額当ても、忍服も、今は他と変わらない軽装で、気を緩ませている佐助。
幸村はそれが嬉しかった。
盃に桃色が一枚、ひらりと落ちて波を作る。
「酒のつまみというやつだな!」
「旦那にわかるの?」
浮かぶそれごと盃を傾ける幸村に佐助が笑う。
そして遠慮がちに、しかし幸村に習うように酒を口に運んだ。
ふぅ、とふたり息を吐いてまた頭上を見やる。
晴れ渡る空に、白く淡く桜が舞い降りる。
「綺麗だな、心があらわれるようだ」
その絶景はとても麗らかで、美しい。
血みどろの戦場を駆ける身としてはとても心が癒される。
普段の生活とは其処はあまりにもかけ離れているように思えた。
「そうだねぇ、ま・そうじゃ無い人も多くいるものだけどね」
うっとりと酒を進めている横で、佐助が悪戯に笑ってそう言う。
「なに?」
意味がわからない幸村は、手を止めて聞き直した。
「口付けの理由に使ったり、ね」
ふふ、といやらしい笑みを浮かべて、ついごくりと喉が鳴るのを幸村は止められなかった。
そんな様を誤魔化すように、早口でまくし立てる。
「な、な、なんと!そんなものが!して、その方法は!」
佐助とは実は恋仲である。
知っている人は知っているのだろうけれど、佐助は触れ合うのを良いとせず、幸村は引くしかなかった。
たまに佐助が許すとき、そして我慢できずこちらが手を出してしまうとき以外は恋人らしいことはできなかった。
なので、幸村としてはそうした方法があるのならばなんとか物にしたいのだろう。
しかし、そんな幸村の考えを読んでいるのか佐助は既に呆れ顔だ。
「自分で考えなさいよ」
「……佐助ぇ」
ツレない佐助に幸村は眉を情けなく曲げて、佐助に縋る。
「ハイハイ、お酒。飲んで飲んで」
それにも慣れているのか、添おうとする幸村の手から柔らかく逃げ、空になった盃にいきおいよく酒を注いだ。
幸村も、これ以上言ってもこの忍が折れないことをわかっているのか、口を尖らせて先を求めなかった。
薄く平たい盃に並々と注がれる酒。
ふたりは暫し無言で、その透明の液体の先を見入っていた。
そこで、ふと、幸村はあることに気付く。
桃色がそこにあって、つい目が行って離れない。
「佐助、花びらが…」
ここに、と彼の顔を指を指す。
「はい?どこですか?」
佐助は酒瓶を置くと、ペタペタと頬や額に手をやる。
髪の毛を払ったり、服を見渡したりして、それから首を傾げた。
「旦那、どこ…」
眉を寄せて、続ける佐助にふわりと顔を寄せた。
「花びらと思ったが、お前の唇だったのだな」
どうりで綺麗だと思った、とにこりと笑う。
誘われたように触れた花びらは、思っていたより柔らかく暖かかった。
薄く、綺麗な白とも桃色とも取れる色だと思ったのだが。
そうした思考の中、幸村は注がれた酒を喉に一気に押しやった。
口の中がカラカラと熱い。
盃が空になったというのに、注ぐ気配も、自分の酒を飲む気配も、ましてや動く気配さえ無い隣に、幸村が不思議と思う。
「どうした、佐助?」
俯いた顔を覗き込もうとすると、ぐたりと桜の木に寄りかかるように佐助がぐたりと垂れた。
「うぅぅ…もう俺ヤダ……」
佐助の発言にぎょっとするのは幸村で。
見放されたらどうすればいいのかわからない主は、
「さ、佐助、一体どうしたのだ?」
オロオロと、突っ伏して顔を向き合わせようとしない佐助の機嫌を取るようにあれこれと試行錯誤するのだった。
ふたりを見守るように、ひらひらと、ただ桜は優しく舞っていた。
−終−
天然なんて、最強じゃ無いかよ…!
2005.11.07
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