ニアミス




俺の主の朝は遅い。
仕事が夜型だからか、朝早くから起きているなんてことは滅多に無い。
放って置くと一晩でも二晩でも寝たままになるもんだから、そんなマスターを起こすのはいつしか俺の仕事になっていた。
ギシギシと軋む古い部屋。
カーテンで闇を作りはしているものの、差し込む光は十分に眩しい。
放り出している靴と散らばる服を避けてベッドに近付く。
いつから買い換えてないのか古く小さめのベッドに真っ白なシーツ。
枕に埋もれるように、うつ伏せて寝ていて苦しく無いのか。
ぐっすり寝ているところを見るとそうでも無さそうだけど。
「マスター、マスター。朝だって、起きろよ」
大きな声で言い放つが、ピクリとも反応しない。
「朝だぞ。起きろよ!」
今度は耳元で叫んでやる。
「あー…?」
唸るだけの鈍い反応、起きたとは言いがたい。
何でこんな大きな声で起きないんだ。
こういうのを低血圧、とかいうらしい。
モゾモゾとシーツに包まって、寝心地の良い場所を見つけたのか、また静かな寝息を立て始めた。
起きているときより随分と幼い顔にドキリと胸が騒いだ。
いつもの主の寝る格好は決まってズボンだけ。
見慣れているはずなのに、何故か覗いた首筋とシーツの影の背中に喉が鳴る。
「マスター、起きないと悪戯するぞ」
「んー…」
普段の小さな小さな欲望が、今壮大に膨らんで来ているのがわかる。
悪魔を狩るその鮮やかな姿に惹かれ、その様子にどれだけも酔わされてきた。
そのダンテが今、こんなにも無防備に己の前にいるじゃないか。
「しちゃうからな、…マスター」
「……う」
寝ているからまともな反応なんてできるわけない。
わかっていて許可を取るのは卑怯だとは思ったが、普段許可を取ってもはっきり拒否されるだけだ。
することをしてしまったって構わないだろう、と自身で納得させる。
主に欲を感じているなんてオカシイかもしれないが、そんなもの関係無い。
二人分の重さを受けて、ぎしリとベッドが鳴る。
あの活気あるマスターを下に見やる。
「マスター、マスター」
覆いかぶさり、露わになっている首筋に吸い付く。
血でも吸ってしまいたい、そんな感覚に陥ったが、痕をバレ無い程度につけるだけで我慢した。
銀の糸をかき上げ、隠れていた耳にキスをした。
ピクリと身体が反応を見せる。
無意識かもしれないけど、そのことが欲にもっと拍車を掛ける。
淵を舐め、柔らかく耳朶を噛む。
そうだ、この際、言ってしまっていいだろうか。
「…………ダンテ」
普段、彼は俺にこう呼ばれるのを酷く嫌がるから。
今ぐらいは…。
「ダンテ……ダンテ」
耳元で甘くそう囁きながら指先で身体をなぞる。
頬から唇、首から肩、そして胸。
骨ばっているが、程よい筋肉を付けた身体はとても綺麗で指先でうっとりとそれを感じる。
そうしていると、ダンテが大きく唸った。
やべ。起きるか?こんなこと知ったら怒るよな。



「バージルやめろよ、俺は眠いんだ」



「あ?アラストル……なんだ、もう朝か」
いくらもしない内に我が主は目を覚ました。
流石にあれだけしていれば眠りも浅くなっていたということだろう。
俺はというと、意外にもショックを受けていた。
あの言葉を聞いてから、膨らんでいた欲という欲はストンと落ちて何もする気は無くなってしまっていた。
ずっとそのままでいるわけにもいけなかったから、ベッドから降りて。
でもそれでもその場から動けず、ただベッドサイドでダンテを見ていた。
バージル…確かダンテの兄貴だったか。
何度か名前を聞いたことがあった。
でも、どういうことだ、ダンテは、兄とそういうことを何度も…?
「アラストル?」
主の声が思考を中断させる。 目を向けると、ダンテは眉を寄せてこちらを覗きこんでいた。
「どうした?」
「何でも、無い」
主は俺の返事に首を傾げたが、しばらくして飽きたのかひとつ欠伸をしてドアへ向かった。
マスター、マスター…ダンテ
俺じゃ駄目なんだろうか、バージルじゃないと。
だから手を出させてもらえないんだろうか。
デキてるんだろうか、兄と、そういうことをしているのか。
そんな、そんなの嫌だ。
「おい、アラストル!」
遠くから俺の名を呼ぶマスター。
疑問は消えないまま。
でも、ここにいるのはバージルじゃない、俺だ。
自分の体からパリパリと怒りを称えるような雷の波が走った。
溜息を吐いてからカーテンを開けると、部屋は光に満ちて、目を細めるほどに眩しい。
時間はある。大丈夫だ。
「アラストルー?」
「今行く!ダンテ!」
まずは名前を呼ぶところから始めようか、マイ・マスター。







   −終−







もう余裕なんて与えない。




2005.11.04