月の下




真田幸村がいない。
目を離した隙にどこかへ行ってしまったらしい。
戦は勝利を収め、今更ながらそのことに気付いた俺は慌てた。
まさかとは思ったが、とにかく戦場を駆けた。
走って、走って、とにかく一刻も早く。
戦の後だということだけあって、周りはとにかく血に塗れていて、血の赤と、あの人を間違ってしまいそうだ。
変な錯覚に陥りそうになって、頭を被り振った。
あの色と、間違えるなんてそんなこと…!

敵陣の中、近くの林の中でひとり、二つの槍を手にしている赤い武将がいた。
見慣れたその姿は、後ろから見ただけでも間違えようが無い。
「旦那、ここでしたか」
随分と安心した声が出て、自分でも驚いた。
ゆっくりと振り返る姿にぎくりと体を引いてしまう。
いつもの旦那より、赤く、黒い。
髪も顔も手も、多くの血で濡れていた。
俺を確認して、困ったように、まるで悪戯が見つかった子供のように笑ってみせる。
無事なようだ、どうやら返り血らしい。
ホとバレないように小さく息を吐いた。
「もう、突っ走らないでっていつも言ってるでしょ、馬は?」
いつものように諌める。
「やられた」
顔を歪めて、口惜しそうに呟く。
そう、と小さく返した。
慰めるのも変だし、何を言っていいのかわからなかった。
しばしの無言の後、武田軍への帰路を歩き始める。
真田の旦那も黙って後ろを付いて歩いた。
「歩いて帰るから、疲れたら言って」
忍とは違う、歩きっ放しではきっと保たないだろう。
ただふたり、黙って歩く。
日はとっくに沈み、辺りは暗い。
足元には血と、それから人、人だったもの。
大きな赤い月がそれらを照らしている。
まるでこの大量の血を吸い上げたような、死人の恨みとでも言うか…
恨み……俺は恨まれて当然のことをしている。
ただ敵というだけで、俺は人を殺め、命を狩る。
ぼんやりと見つめていると、手に何か当たり、ビクリと体を竦ませてしまった。
ぎゅ、と握られ、その手が真田幸村のものだと気付くのに数秒時間を要した。
少し後ろを歩いていた旦那は、今は隣に。
不安そうな顔でこちらをじっと見ている。
本当にこの人は、子供みたいな人だな。
「旦那、もしかして怖いんですか?」
冗談交じりに、苦笑いを漏らす。


「大丈夫、大丈夫だ佐助。怖くない」


強く、強く握られる掌。
眉を寄せ、真っ直ぐ見つめられる。
怖くない、なんて。
怖がっているのはアンタでしょ、と言えなかった。いつものように返せなかった。
ただ、唇が震えた。
泣いてなんか、無い。
まったく、鈍いのか鋭いのかわからないよ、アンタは。
赤い月と、赤い海の中で目を伏せた。







   −終−






こわくなんて、ないよ




2005.10.22