ちゅ。
風が強い夜だ。
ガタガタと雨戸を揺らし、障子さえも五月蝿く鳴らして通り過ぎる。
少しの間気を取られていたが、ひとつの不機嫌そうな視線を強く感じて苦笑を漏らした。
そうだ、ここは自室では無く、真田幸村その人の部屋だ。
「明日は出陣でしょ?早く寝てくださいよ」
困ったように口にする。
実際困っている。
要になる武将の真田の旦那が寝てもくれないとなると、明日に響く。
眠気で油断するなんて有り得ないのだ。
旦那は布団の上に胡坐を掻き、不機嫌そうなまま口を尖らせる。
「佐助は?」
「俺も旦那が寝てから眠ります」
旦那が寝れば、俺も自室で寝られるんだと言外に含ませて。
しかし、当の本人はただ、そうかと返しただけで眠る体勢にはならなかった。
何なんだよ。もう。
「佐助……」
「何です」
いつまで経っても布団にも入らず眠ろうとする気配すら見せない旦那に苛つきを抑えつつ答える。
「某と今より致さないだろ……イタ!」
「何言ってんだ、アンタ!」
つい殴ってしまったが、これは仕方ないのだと自分に言い聞かせる。
こんなに寒い夜なのに血がカッカと熱い。
旦那は頭を抑えつつ、眉を情けなく下げてこちらを下から見上げる。
「しかし眠れないのだ、明日からは戦。なんとかしたい」
気が立つのはわかる。
何にでも熱い人だから、興奮で眠れないときもあるだろう。
だからと言って何で俺が犠牲にならなければならないのだ。
そこは確実に、否。否だった。
このまま自室へ帰ってしまおうか。
ふぅ、と溜息が吐くのを止められず目もついつい遠くへ向かってしまう。
「で、では接吻だけ!な!」
流石にマズイと思ったのか焦りながら譲歩策を出した。
「駄目、嫌だ」
きっぱりはっきりと返す俺に、旦那が膨れた。
「昔は寝る前にしてくれたではないか」
「もうガキじゃ無いでしょ」
昔だって、あまりに眠れない眠れないというからしてやっていたのだ。
安心感は得られるだろうと、勝手な親心からの行為だ。
今、欲情をすると言っている男に何故そんなことができるというのか。
「子供の幸村にはできて今の幸村にはできぬと!」
差別だ、差別だとぎゃあぎゃあ文句を散らす。
真夜中に、あまりに大きな声。
このまま放っておくと、更に血が昇り大声で騒ぎ出して誰かしら起きてくるかもしれない。
明日から戦に向かう身は誰だって同じ。
迷惑は掛けられないし、自分で何とかできるのならばした方がいいだろう。
まぁ、軽く額にでもしてやればこの人の気が済むんなら……いいか。
そんな決断に至り、苦労の息を吐いた。
「あーもーわかった、わかりましたよ。接吻だけね」
言い切る前に体は強い力に掴まえられた。
声が喉から先に出ない。
「ん、ぅ」
ただ重ねられたそれから、噛み付くように唇を覆われる。
上唇と、下唇をやわらかく舐められ、噛んで、吸われる。
「やめ、ちょ…っ」
こんなことになるなんて、思っていなかっただけに体勢ができていない。
何とか押し返そうとするが、ガッチリと抱きしめられていてそれも叶わない。
それどころか、言葉を紡ぐため開いたのところを、しめたと言わんばかり舌を差し込んでくる。
息が吸われ、苦しいと思いつつも翻弄される。
乱暴に、強引に、でもどこか優しく絡められ、口内を責めつくす。
満足したのか、旦那が唇を放す頃には目の前がくらくらと揺れていた。
力も、何もかも奪われたように熱い。
「どうだ、佐助?」
憎いほどに笑みを浮かべ得意げにしている目の前の人物。
ぼうっとして抵抗しないのをわかっていて、頬を撫でてくる。
流されそうだ、と思いながらそれでもいいかなとどこかで思って。
俺もまだまだだなぁ。
力を抜いて、旦那に凭れ掛かろうと目を閉じた。
「なかなか上手いとは思わぬか?うむ、某もやればだなぁ…」
は……。
一瞬固まってしまった。
まいったか、と言わんばかりに踏ん反りかえっている。
嬉しそうなその顔、この勝利したというような晴れ晴れしい顔。
何だこの人。なんだ、この人。
「……じゃ、俺はもう行くから」
やわりと緩んだ気は、一瞬にして既に、意志の固くビシリと音を立てるほどに凍り付いていた。
先に進もうとする手を振り払い、居住まいを正して立ち上がる。
真田の旦那は背を向けた俺に、慌てたように声を掛けた。
「さ、佐助!これはどうすれば…」
これ、と自分で指すものを見て顔を歪めてしまう。
今はもう、ただ呆れと嫌悪しか無い。
「自分でやんなよ」
接吻だけって言ったじゃないか、と続ける。
旦那は、これまた困った顔で、それはそうだがでも…と渋った。
「武士に二言は無いんでしょ!」
追い討ちを掛けてさっさと部屋を出る。
襖を閉めるとき、きちんと「失礼しました!」と声を掛けてやった。
いきおいよく閉めるときに見えた慌てた顔は一瞬で消える。
その後情けない叫びで呼ばれた俺の名前は、聞いてなんか無い。
忍びでは有り得ない荒々しい音を立てて自室への道を急いだ。
−終−
あ、そう。あ、そうですか。
2005.10.22
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