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何が、というわけでは無いがやけに胸が鳴る。
いつも気にならない窓の向こうの風がやけに騒いだ気がした。
そういえば。ふ、と頭を過ぎる一つの事柄。
今日、ダンテを見たか。
今日だけではない、昨日の夜も会わなかった気がする。朝には言葉を交わした気がする、いつものようにダンテの困ったような表情でそれでも笑っていた。
夜は食事時にも見かけなかった。シャドウから部屋で食事を取ると聞かされた。
残念には思ったが強制も出来ず、次の日…つまり今朝になれば会えると思っていたのだ。
それが朝食になっても姿を見せない。腹が減っていないらしい、そしてその理由は昼時も同じだった。
そんな日もあるのかもしれない、変わったことではないのかも知れない、そんなことだってあるのだろう。だけどそれでどうして納得できないのか、どうして不安を感じることがあるのだろうか。
「…不安?」
自分の疑問に感じて言葉にしてみた。
そう、いうなれば不安。今まで無かった気持ち、ダンテは…彼は元はいなかった。それが今本当になるのではないか。
このまま会うことなど無くなってしまうのではないか。何事も無かったように、あの部屋はまた持ち主を無くし静かに佇むことになるのではないか。そう思うと居ても立ってもいられなくなった。
掌は扉を乱暴に開け放ち、足は勝手に走り出していた。屋敷を走るなんて普段の自身では考えられない、それは部下も同じなのか擦れ違う者は頭を下げることも忘れ呆然としていた。
目指すのは一つだけ。そこにいるなんて保証なんて無いことは考えればわかることだが、今の己には選択肢など無かった。
一つの扉の前でようやく足は止まった。
少しながら乱れた息を一度の深呼吸で落ち着けた。しかし胸のざわめきは納まるどころか音を増している。
ドアを二度叩く手は戸惑いを含んでいる。
「ダンテ」
勤めて冷静に聞こえるように落ち着けて名前を呼んだ。
返事を待つ。
………………遅い。
いや、遅く感じるだけなのかもしれない。これほど心臓が五月蝿い、まともに時間なんて数えられるわけなど無い。右に、左に視線だけで辺りを見渡す、それは周りから見ればただ時間を潰しているように見えもするし何が感じ取ったようにも見える。だが見慣れた廊下はそこにあり部屋は代わらずそこにただあるだけ。当たり前だ。
一度固くつぶりゆっくり開けるが、目の前にある扉は開かれない。開かれていない。
伸ばして掴む取っ手は冷たく、金造り細工がやけに嫌に見えた。緩く回すとカチリと軽く音を立てる。キィと鳴るドアにそこで初めて鍵が掛かっていないことに気付いた。
「…ダンテ?」
部屋の中に問い掛けるが、返事は無い。中に気配が無い、ソファーもベッドも綺麗なままだ。
彼が来る前のあの、用意したままの部屋のようだ。彼の物は何も無い。剣は、銃は、ダンテは?
どこへ、どこへ。
ぐるりと見回す。カタ、微かだが音が聞こえた。音がしたのは、右後ろにあるドアから。警戒をすることも忘れていた、剣に手を沿えいつでも抜刀できる姿勢を取る。 ガチャリ、ノブが回され扉はゆっくりと開かれていく。
「あ?」
ダンテ。
「何してんだ?バージル」
赤いコート、剣を背に刺し双銃は腰に、いつものダンテだ。
「すごい顔色だぜ、大丈夫かよ」
髪が少し濡れている。そうか、シャワールーム。合点がいったと同時に無意識に止めていたのか、息が一気に漏れた。
「お、おい?バージル?」
少し焦ったような声が聞こえる。それさえも今は安堵の材料になり、自然と笑みが浮かぶ。
よかった。噛み締めた笑いをダンテ、お前はわかるだろうか。ちらりと目に入った白が目に留まる。赤のコートを止めるバックルがシャワー後だからか一つ二つ外されている中に微かに見える白は、よく見ると包帯だった。
「ダンテ、それは何だ?怪我など何時…」
あぁ、とダンテが唸る。
「これは」
前からちょっと。らしくなく困ったように笑って見せた。
「大丈夫か、痛みは」
伸ばした手が後少しというところでダンテは大袈裟なほど体をビクリと揺らした。
過敏な反応に手は届くことなくそこで固まる。
こちらが驚いたのはもちろんだが、ダンテ自身も驚いたかのように青の瞳を見開いてこちら見ていた。
真っ白な顔色でまるで自分を守るように腕で自身を抱いているダンテは、まるで子供のようだった。
「わ、るい…」
「いや、それより」
お前は大丈夫なのか。
その言葉は言えなかった。しかし感じ取ったのかダンテは、ひどく、らしく笑った。
一度その双蒼を閉じてからは瞳は揺れも見せなかった。
しかし先程の妙な態度が気にもならないわけも無く。ダンテ、そう呼ぼうとした彼の名は彼自身によって遮られた。
「そうだ、バージル。外に行こうと思ってるんだ」
「外?」
「興味あってな、城の外行って来る」
コートの襟を立て上までバックルを掛けながら、ダンテは楽しいことを見つけた子供のように声を弾ませた。
剣もそして双銃も、その準備をしていたのか。
行って来たら良い、と笑えない。
ダンテは強いのだろう。悪魔狩りという仕事に就いていたと聞くし、その剣も銃も使う者のものだ。
しかし。先程消えたはずの不安がぶり返しているのがわかる。
「どこか、行ってしまうのか」
お前は、また……それ以上声が出ない。
元からいなかった、そういなかったのだと。
まるで夢のように消えてしまうのではないか。嫌な汗が背を伝う。
怪訝な顔をしているダンテ。そんな顔をさせたいわけではなく、そんな顔を見たい顔を見たいわけでは無い。しかし目を逸らせない。
当たり前だ、突然そんなこと言われて頭を疑うだろう。ただでさえ当のダンテは此処へ来て日が浅い。
兄と弟、それは事実であって事実では無いのだ。
自由にしていいのだ、と言わなければいけないはずなのにその一言が出なかった。
黙り込むしかできないこちらに、何を考えたのかダンテが突然笑う。
「可笑しいこと言うぜ」
伏せた拍子に揺れた髪は濡れていて絨毯にポタリと落ちる。
こんなに近くにいるはずなのに、どこか遠くにいるように見えた。
双子であり、見慣れたはずの銀色から覗く青に引き付けられる。

「この世界で此処以外のどこに俺が帰る場所があるっていうんだ」

当然のようにそう言って笑った。
だろう?と聞くダンテに黒く不安に埋め尽くされた心に光が差し込む。
「…………そうだな」
自然と浮かんだ笑みと同意を見せればダンテはまた軽く笑った。
きっと、シャドウが連れて来なければ此処へ来ることは無かった違う世界から来た弟は(一緒に来た彼女はともかく)恐らく此処で無くても生きていけるだろう。
同じように悪魔を狩り、寝るところも、食事も、当然金も手に入れることだってできるだろう。
しかし、彼の言うことが嘘とは決して思えなかった。此処以外に無いのだと。
いや、恐らく彼の言った「帰る場所」という単語が大きく自分に自信を持たせているのだ。
居る場所、と言わず帰る場所、と言ったダンテ。彼にとって此処は帰るべき場所なのだと。
こんなにも嬉しいと思える気持ちが自分にもまだ残っていると気付かせてくれたのはダンテが居るからだ。
「私も行こう。案内をさせてくれ」
外には悪魔が夥しいほど這い回っている。しかしムンドゥスが大きな動きを見せない今ならば自身が出ることも、そして城を任せ空けることも大事無いだろう。
「案内は」
「共に行かせてくれ」
必要ない、という言葉が出る前に頼みを入れる。
蒼の瞳をじっと見返すと次第にその色はウロウロと彷徨い、そして溜息と同時に静かに閉じられた。
「負けるぜ」
困ったような笑いに、薄く笑い返し、二人で部屋から連れ立つ。
作り物めいた部屋はダンテがいるということだけで色を持つ。
ダンテという存在に、これほどまでに心を動かされているといる。自分が思うよりもこの気持ちは本当はもっと強いのかもしれない。
もう、彼がいないことなど、有り得ないのだ。


少しずつ、何かが変わり始めていることに、気付いていればよかったのだろうか。







   −続−







一抹の不安は確信の無いときの方が強く、確信に気付くのを鈍らせる




2006.7.28