call




私の名前。
忘れていたような名前。
バージルと呼ばれなくなってどれほどだろうか。
父が人間の手によって魔王に堕ちたとき。
母が笑って亡くなったとき。
弟であるダンテが攫われたとき。
もう、誰も呼ぶ者はいないと思っていた。
懐かしい響き「バージル」という言葉。
魔王に立ち向かう仲間…いや部下ができた。
…名前はとっくに捨てていた。
盟主はネロ=アンジェロと呼ばれ、無くなった名前。
呼ぶ者のいない名前。
「バージル?」
耳に響いてきた音に、世界は一瞬にして色を戻す。
部屋でも無い、談話室のソファに座っていることを思い出す。顎の下で組んでいた掌に、力が入っていることがわかった。
バージル。
久しく聞いたような気がして、つい相手を探してしまう。
空の色の目をこちらに向けてすぐそこに立っていたのは、
「ダンテ…」
赤いコートに、同じ色の銀の髪。
双子の弟は、呼ばれるままにダンテはソファの空き隣に腰を下ろした。
何てこと無いかのように、当たり前のように隣に居る。
「ダンテ」
攫われ殺されたと呟かれていたダンテがそこにいると思うと、確かめるように名前を呼ばずにはいられなかった。
ダンテは意味がわからない、とばかりに眉を寄せる。それでも視線は外さない。
誘われるように伸ばした指先は、ダンテの頬を滑った。
体を少し引かれたが、掌で包みこむようにすると、体はそのまま後ろに下がることは無かった。
困ったようにしているが、嫌だとは決して言わない。
頬にあるこの片手のせいで、顔を逸らすこともできないダンテを見て、自分の目尻が緩むのが分かった。
バージル。
ネロ=アンジェロを名乗るようになって、この名を呼ぶ者はいなかった。
「……名を」
「あ?」
呟いた言葉に、問い返される。

「名を呼んでくれないか」

瞳が見開かれる。
驚いた表情は次に困惑に変わり、それから溜息を一つ。
断られるだろう、当たり前だ。
意味など説明していない、できるものでもない。
自嘲気味に笑みを浮かべてしまう。蒼の目を見ていられなくなり、顔を俯けた。
何を思っていたのだろう、と。
こんなとき自分の愚かさを実感する。
ダンテが来てからというもの、それは悪くなる一方だ。これでは見放されても仕方ないのではないか。
そんなことになってからでは遅いと言うのに。
謝るべきだ。
自身に嘲笑を浮かべてしまう。


「バージル」

掌が音を刻むのを細かに伝える。
掠れて聞こえる柔らかい声。
「……バージル」
名が静かに呼ばれる。
それは昔捨てたはずの名前。
いなくなったはずの弟が、血を沸けた家族が、片割れが。
「バージル」
この名前がこんなにも優しいものだったかと。
「バージル……」
何も聞かれない、逃げることもしない。
触れた手も振り払わない。
ただダンテは歌う、名前を。
掌から伝わる微かな熱を頼りにダンテが拾ってくれた自分というものを噛み締めた。







   −終−







お前が居てくれて…こんなにも。




2005.5.12